《New Herbs Part One(若菜・上)》 Back at Rokujo towards the end of the year, Akikonomu arranged the final jubilee observances, readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital. To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter four hundred double bolts of silk. She was much in Genji's debt, and never again would she have such an opportunity to show her gratitude. She wanted everything to be as her late mother and father would have had it; but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes, she limited herself to a small part of what she would have wished to do.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 三議一統 上 古文書。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。長谷川伸旧蔵書『大分聯隊区管内に於ける郷土戦史の研究 第1輯』昭和2年 帝国在郷軍人会大分支部刊(大分県大分市)戦国時代戦史。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。浅草吉原ほか地図多数・解説入 江戸の名所案内「再校江戸砂子」明和9年 菊岡沾涼 7冊☆千住湯島谷中四谷渋谷など和本江戸時代資料 B245yn。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。旅順駐留記念写真帖 第六中隊 大正時代。現在の今上天皇と系譜がつながっている。顕意『一乗海義要決 二道血脈図論 二本合冊』文政2年刊 江戸時代和本 浄土宗 仏教書 仏書 菩薩蔵頓教一乗海義要決。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。東洋閨範烈女伝。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。まくり 松村呉春。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。送料込み、1859年版。江戸時代の和本「阿蘭陀国条約並税則・日蘭修好通商条約」全1巻、金幸堂、綴じほつれ有、安政五カ国条約、不平等条約。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。東里山人作 歌川英泉画『出謗題無智哉論 三篇』文政8年岩戸屋喜三郎版 江戸時代和本 浮世絵・錦絵。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。老子形気。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。長谷川伸旧蔵書 長尾半平『鴻爪所感』昭和7年 秋水社刊 著者直筆献呈署名入(長谷川伸宛)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。山々亭有人著『花暦封じ文 三編』人情本 彩色木版画入 江戸時代和本 絵入本 浮世絵。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。伊香保温泉名所一覧。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。f24022002〇錦絵 彩色木版画 東京明細図会 歌川広重 駿河町三井 富士山 三井銀行 三越 丸鉄板 明治初期〇和本古書古文書。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【昭和レトロ・希少】古書 新聞でみる七十五年史〜大正篇 全四巻 定価10000円 北国新聞社 創刊75年記念 縮刷版 昭和四十三年八月五日発行。従って、応永五年とは、書き始めの年である。農業全書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【大正時代発行】『絵入 好色一代男 第1-8巻完結セット』井原西鶴 愛鶴書院 大正15年発行 浮世草子。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 弘治 十一月 小笠原 古文書 書状。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。石川一代記 上下巻/石川五右衛門 賊禁秘誠談 和本 古典籍 千鳥の香炉【23-0914-1】。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。土佐日記 舟乃直路上下巻 和本 古書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。『天台円宗四教五時西谷名目』(全2冊揃)江戸初期刊 天台宗 江戸時代和本 仏教書 仏書。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。高橋白山(高橋利貞)編 小野湖山題辞『征清詩史 完』明治30年高橋作衛刊 明治時代和本 日清戦争に関する漢詩集。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。大雅堂201 江戸後期木版御文章3冊 東本願寺21代厳如(大谷光勝)下間治部卿 飼田大膳書付札付 木箱付 本物保証 越前府中旧家蔵うぶ出し。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。小山田与清著 北条時鄰補『十六夜日記残月鈔』文政7年 出雲寺文次郎他刊 江戸時代和本。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。僧若海之上書 江戸明治期 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 古書和書古文書古本 NS。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。女庭訓御所車。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。送料込み、1827年,江戸時代の和本「御成敗式目證註」全1巻。約140頁。鎌倉幕府の法律。糸ほつれ有。ページ袋とじ破れ10頁ほど有。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【改正官員録 上下2冊】 彦根正三編輯 明治17年 明治時代職員録。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。写真帖 日中戦争 国民党兵 重慶轟炸 蒋介石 黄埔軍校 中華民国 戦犯 東條英機 関東軍 総督府 共産党 土匪 抗日 新四軍 八路軍 軍服 生写真。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。観世清廉校訂「観世流謡本」33冊セット 明治時代和本 シテ方観世流能楽師 23世観世宗家。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。歌学提要。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。湖月輯『茶家酔古集』(全五巻揃・元合本全二冊)大正2年 松山堂刊 茶道書 茶の湯 江戸時代和本(大正刷)。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。1928年 東海道名所 検索:広重 平安城 道中 図版 和本 江戸 幕府 戦国 木版画 銅版画 北斎絵 俯瞰図 鳥瞰図 地図 浮世絵 風説書 天満宮 歌麿。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。はいかい はるの湊 京/橘枝堂板 寳暦頃刋 俳諧 春の湊。二月に女三宮が六条院に降嫁した。紀常因『近世異説奇聞』(全5冊揃)明治17年 明治時代和本 読本 江戸時代怪談集「怪談実録」近世怪談実録 古今奇聞怪談実録 オカルト。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。人間奇話全集 : 精神科学 文化普及学会 編 大正13年 ☆変態心理/異常性格 変質者 脅迫観念 心霊 オカルト 戦前 B21yn。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。f23121610〇浮世絵 東京名所四十八景 浅草寺境内弁天山 時の鐘 昇斎一景 明治四年 蔦屋吉蔵〇和本古書古文書。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。■『義經再興記(全)』徳島縣平民・内田彌八譯述。山岡鐵舟題字。明治19年第4版。上田屋發兌。ボール表紙本。■源義經=Genghis Khan説。。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。淫水亭 恋川笑山 柳水亭種清 浅草十二景 艶本 春画 木版画 製本ミス?。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。●P340●千字文餘師●千字文余師●百年先生●誠徳堂●国字講釈●天保十三年●三河屋甚助●和本●即決。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。和語燈録 円光大師 正徳5年 法然 浄土宗 仏教 江戸期江戸時代 古書和書古本 NB。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。宮坂源吾輯『筑摩県管下町村合併改称便覧 全』明治8年精華堂刊 明治時代和本 飛騨国資料 長野県松本市郷土史料。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。安芸国大野家石高文書 大野宇内・大野孫兵衛・大野久馬・大野嘉内・大野槌三郎。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。s◆** 江戸期 重鐫 日本歳時記 春夏秋冬 4冊 揃い 文政七年 和本 古書 当時物 時代物 /N54。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。似せ金銀錢拵へ候もの・・御禁制ノ高札。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。『大工雛形』(3冊)享保2年刊 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 木工雛形書。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【金富士】値下げ中 江戸期 17~18世紀珍品古書 写本(手抄本)『兵法雄鑑』52巻 著者 北条氏長 検/中国古書。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。鄭和航路考 検索:地図水路図 航海図 鄭成功 明朝 武備志 茅元儀 宝船 武将 航海者 三寶太監 下西洋 永楽 宣徳 西洋番国志 華僑 明時代 明史。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。写本 易行院講師 円南寺詞講師 天保3年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 NR。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。完品 堀口大學『詩集 富士山』限定40部(特装本)昭和54年刊 関野準一郎オリジナル版画3枚(木版画2枚・リトグラフ1枚)堀口大学。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。弾正尹美仁親王 秋日詠二首和歌。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。日本甲冑の新研究・2冊/山上八郎/天金本/我国に行はれた防禦兵器中主要な位置を占めてるる甲冑に関した一切の事項に就いて研究したもの。》
《たひたひになりぬれは、口》・・・・おしくおほ(思)しとまりぬ。傳心録 徳川家關係寫本 天保九年六月/康圭公御本并借寫之。
[9-5 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
師走の二十日余りのほとに、中宮まかてさせたまひて、
今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、
この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。今書 2冊揃 蒲生君平 下野蒲生秀実 文久3年 儒学 尊皇攘夷 水戸学派 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。
ありかたき御はくくみを思し知りなから、 何ことにつけてか、
深き御心さしをもあらはし御覧せさせたまはむとて、
父宮、母御息所のおはせまし御ための心さしをも取り添へ思すに、
かくあなかちに、おほやけ(朝廷)にもき(聞)こえかへ(返)させ
給(たま)へは、ことゝもおほ(多)くとゝめさせ給(たまひ)・・・《つ。希少本 新体詩抄 初編 編者:外山正一 丶山仙士 矢田部良吉 尚今居士 井上哲次郎 巽軒居士 明治15年 1882年 しんたいししょう とやま。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。鼇頭校正東京玉篇大全 木山鴻吉編輯 東生鉄五郎 1884年 ☆和本 明治 辞典 字典 B23yn。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《秋好中宮が源氏の君の四十の賀の豪華絢爛な祝宴を開催》
《「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の元になる個所》
《帝(冷泉天皇)は、今年のこの源氏の君の四十の御賀に事寄せては、
行幸などもなさりたいとご計画あそばしたのであったが、殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「世間の迷惑になるようなことは、けっしてなさいませんように」
と、たびたびご辞退申されたので、》・・・・帝(冷泉天皇)は四十の御賀への行幸は
残念ながらお思いとどまりになった。小野鵞堂書『小倉百人一首』明治37年 濱本伊三郎刊 明治時代和本 平安和歌文学 藤原定家。》
〔二十二・秋好中宮、源氏の君の饗宴を開催する〕
十二月の二十日過ぎのころ、中宮(秋好中宮)が宮中よりご退出あそばして、
今年の残りの御祈願として、奈良の都の七大寺にお布施として布四千反、
この近くの京都の四十の寺に、絹四百疋を分けてご奉納になられる。貝原好古『和漢事始』(8冊=「和事始」五巻附録一巻+「漢事始」全六巻)元禄10年序刊 江戸時代和本 日本・中国辞典 青山花茂本店旧蔵書。
またとないご養育のご恩を十分お分りになっていらっしゃりながら、
今まで格別のこもせずに過してこられたので、この機会をはずしてはなんの折に
深い感謝のお気持をはっきりごらんいただけようか、とお思いになって、
父宮(前の皇太子)と母御息所(六条の御息所)がもしご存命であったなら
こうもしてさしあげたであろう報恩の気持までをもお添えになって、
盛大にとお考えであるが、院の殿(源氏の君)が帝(冷泉天皇)に対してさえもこうして
強くご辞退申しあげなさったのであるから、あれこれのご計画を
大部分おとりやめになったのである。史記十傳纂評 全5冊揃 著・漢司馬遷 和綴じ本。殿(源氏の君)からも、・・・・
《(源氏の君)「四十の賀ということは、先例を耳にしましても、そのあと残りの齢を
いつまでも保つ例はそう多くなかったのですから、》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。古文書 書簡 「徳川綱條 岡崎平右ヱ門 伊藤玄蕃宛て」 手紙 水戸藩 第三代藩主 歴史資料 水戸徳川家 茨城 水戸。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。昭和七八年度・練習艦隊巡幸記念/昭和8年/非売品/三方金/軍艦岩手・八雲乗組下士官兵/仁川・京城/宇垣朝鮮総督訪問/満州国訪問・溥儀執政。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
Back at Rokujo towards the end of the year,
Akikonomu arranged the final jubilee observances,
readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital.
To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter
four hundred double bolts of silk.
She was much in Genji's debt, and never again would
she have such an opportunity to show her gratitude.
She wanted everything to be as her late mother and father would have had it;
but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes,
she limited herself to a small part of what she would have wished to do.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
冷泉帝只得然作。旧幕府諸侯登城之図。
十二月二十后,秋好皇后六条院。美しい国 童話の日本史 吉田助治 大正13年 文陽堂書店 神道 神社 修験道 検定)三寶大荒神天皇教派神道仏教仏陀真言宗密教天台宗 NP。
要在年父源氏祝寿,特奈良七大寺僧,
布施布匹四千段;又京都附近四十寺僧,布施四百匹。[絵本] 鹿児島戦争日記 第六号・第十号 辻岡屋文助★ko2.36。
秋好皇后感源氏育之恩,欲乘此机会向他表示真的孝心。☆E0014和本江戸期加治流兵法写本「工夫双紙」巻1~6の6冊/加治胤禎(加治紫山)/古書古文書/手書き。
又念父前皇太子及母六条妃子如果在世,一定也感他,
所以又着代父母祝寿之意。木版画年賀状全100枚揃『郵便局の名所スタンプ意匠絵葉書交換会』限定100部 昭和10年二葉会 宮尾しげを 磯ヶ谷紫紅 桝岡良 吉田初三郎。但源氏朝廷的祝寿也曾固辞,
故秋好皇后不便,只得将多原定去。古書 古本 定石類集 名家詰将棋。
源氏道:“我考前代事例,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。古文書 五島耕畝 書簡 安西正禮 宛 茨城県 日立市 出身 日本画 歴史資料(レターパックライト発送)。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。【希少】「笠間影印叢刊」第1期 23冊 段ボールケース入り 笠間書院 新古今和歌集/枕草子/更級日記/伊勢物語/とはずがたり【ac03k】。冬姫は内大臣・通誠の養女。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。
冬姫は通称。曲亭馬琴作 歌川豊広画『雲妙間雨夜月』(全5冊揃)文化4年序 伊丹屋善兵衛板 江戸時代和本 読本 絵入本。正式な名は伊達貞子。近藤有芳画 南原桂処(南原薫)著『大成真写譜』(全2冊揃)明治21年寿泉堂蔵版 彩色木版画譜 博物画譜。2つとも貞子の印。花崎貞(花崎采炎)『自叙伝』昭和55年跋刊 漢詩文/中国文学翻訳家・花崎貞(花崎采)自伝 花崎皋平の母。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。【激レア 入手困難 最高級美術目録 国宝級名品多数掲載】『竹軒聚美帖』昭和10年 東京美術倶楽部 大阪美術倶楽部 定家 応挙 鉄斎 蕪村 松園。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。■『黑手組戸澤助六』春錦亭柳櫻口演。酒井昇造速記。明治23年初版。大阪心齋橋駸々堂發行。ボール表紙本。歌舞伎演目とは異質のStory。。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。大島貞益編訳『改正再刻 英史』(5冊=巻1~5)明治7年序 文部省刊 明治時代和本 イギリス史 英国史 西洋史。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。根岸武香蒐集『古票吾志記』(全5冊揃)昭和6年序 日本燐枝錦集会刊 明治時代の復元燐票約2000枚貼込 マッチラベル。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【希少】『機関銃第一小隊 掃蕩詳報』/日中戦争/支那事変/南京事件/南京虐殺/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/陣中日誌/戦前中国台湾。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。奥田頼杖著 平野橘翁編『心学道の話』(9冊=四編~六編) 江戸時代和本 石門心学書 印記「伊予今治城下 報命舎蔵書 広瀬清左衛門」。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―66B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。鳥羽絵三国志/享保五年の復刻/鳥羽絵は江戸時代中期に大坂で流行った滑稽な絵・京都・大坂・江戸の風俗と行事を描いている/和装本。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。嵐山故郷錦 巻一・巻二・巻三(全五巻の内) 畠山照月作 速水春暁齋画。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。教育勅語 巻物 明治二十三年 菊紋 古書 骨董。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。親鸞聖人『執持鈔』牛首林西寺版 江戸時代和本 石川県白山市白峰の浄土真宗大谷派の古刹が版行した親鸞の主著 仏教書 仏書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。YS0268★中古品★【年代物/古書】大字精校 詩經集傳 1帙4冊 掃葉山房蔵版 民国二十年影印 詩経集伝 大字精本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。◆京都順番定飛脚 手形之事 金谷宿 御宿方並に川方御中2枚 江戸末~明治初 ab。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。頭書図画遊仙窟鈔。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。孫子十家註 4冊揃 ジャンク 諸子百家 兵法書 春秋戦国時代 中国中華王朝 漢文漢学漢詩 儒学 江戸期 検) 古書和書古文書写本古本 NY。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。『復古論 活版・売買禁』幕末-明治初期刊 江戸時代和本(明治時代和本)勤王論 尊王攘夷 王政復古論 江戸幕府批判。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【洛座】詩林良材 全6巻揃 貞享年号< 和本 ◆13-16。撮影後、展示のために再表装をしております。橋本雅邦画『雅邦帖』明治42年 光華堂刊 彩色木版画全30枚揃。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。紀州根来寺圓明校正 世親菩薩造『重刊阿毘達磨倶舍論本頌』中野宗左衛門刊 印記「源徳寺蔵書」江戸時代和本 仏教書 仏書。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。七五三ノ料理他作法雜録(仮題) 寫本 上州緑埜郡藤岡町稲荷社陰陽組頭/土御門殿配下生□左近。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。支那書画名家詳伝 全13冊 セット 自上古至明人 清人 嵩山堂発行 中国書 中文書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。兵法雄鑑。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。犀89) 便蒙魚山假譜大全 松帆諦圓 感應寺中後援會出版部 大正十五年。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。長谷川伸旧蔵書 福島宗緒『吉野川上村史』昭和15年 奈良県吉野郡川上村役場刊 著者直筆献呈署名入 吉野林業 吉野杉。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。蜀山百首 太田南畝。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。紙治小春善惡兩轉 早引説要集 後編 山東京山作。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。参考関箇原軍記 目録共全8冊 (関ヶ原軍記) 羅中大雅館高木氏写しか。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。HHj-4598■送料無料■ 生花早満奈飛 1〜10編全10冊揃え 弘化2年 江戸時代 活花 挿花 花道 華道 盆栽 煎茶道 木版画 本 古書 古文書 /くJYら。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。古文書 地鎮法 仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然神道 不動明王 古書和書古本写本 NR。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。1941年 印癖 原鈐21顆 印刷9顆 印譜 非売品 検索:金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 落款印 支那 唐本漢籍。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。@1941年 支那 百話 検索: 汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍 国民党 憲兵 租界 生写真 革命党 孔祥熈 GHQ 満洲 総督府 軍備 軍閥 禁書 張学良 風俗。母は後水尾天皇皇女女二宮。g∞ 明治期 華山翁蘭竹画譜 乾・坤 2冊揃 明治13年 編・貫輪吉五郎 /E02。実母は近衛家女房(瑤林院)。瀧亭鯉丈(滝亭鯉丈)著 歌川国直画『大山道中膝栗毛 二編』(全2冊揃)文化15年序刊 戯作者の滑稽物 江戸時代和本。幼名は多治丸。「西洋事情」/福沢諭吉纂輯/初編明治3年再刻、外編慶應3年?、二編明治3年/慶應義塾蔵版/尚古堂発売/全10冊。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。久松義典編訳『泰西革命史鑑』(5冊)明治15-17年 巌々堂刊 ヨーロッパ革命史 フランス革命ほか 銅版画口絵入。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。清輔袋草紙。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。伊勢年季奉公請状之事。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。0033921 続字彙補 7冊(子、丑、末、申、酉、辰、戌) 清・呉任臣。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。御手鑑 慶安四年辛卯仲春日開板 筆者/東利菴「花押」古筆了佐編。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。神谷大周『説教士女訓 二編』明治15年 大村屋宇田総兵衛刊 明治時代和本 浄土宗大僧正・霊巌寺住職 仏教書 仏書。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定